『白山之記』に、
「加賀下山七社、白山、金剱、岩本、三宮、此号二本宮四社一、中宮、佐羅、別宮、
此号二中宮三社一也。
総云二七社一。」とある。 

白山信仰は古くからの信仰で、白山7社巡りは現在でも行われているようだ。もちろん現在の7社全てが頻繁に参拝者が訪れているわけではなく、氏子はいるのかなという神社もある。失礼。
しかし、私がこれらを訪れた日、偶然、バスで7社巡りをしていた一団があった。どのような主旨なのか、彼らは何者かわからないが、各神社に案内、世話役が表の扉を開いて待っていた。
私より年配の人々にみえた。どのような主催者が企画したのか、以前から継続しているものなのか不明である。

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本宮四社 中宮三社
白山本宮 金剱宮 三宮 岩本宮 中宮 佐羅宮 別宮
現在の古宮公園 きんけんぐう
白山市鶴来日詰町

現在の白山比咩神社
鎮座地にあった神社

現在の岩本神社
いわもと
(能美市岩本町)
笥笠中宮神社
すがさちゅうぐう
(白山市中宮)
佐羅早松神社
さらはやまつ
(白山市佐良)
白山別宮神社
しらやまべっくう
白山市別宮町
境内に犬が繋いで
あった
営業停止のスキー場
が悲しい。
リフトはそのまま。
熊注意の看板あり 駐車場ない

白山三馬場 

富士山、立山とならんで古くから信仰の山として崇められた白山。
養老元年717年泰澄により開山されたといわれ、その霊山に対する信仰は次第に登拝という形で求められ、
この修験の道-禅定道-が整備された。この登拝の主なルートは3つでり、それぞれの拠点、馬場を定めた。
これが下の白山三馬場。天長9年832年ころのことである。 

加賀馬場 越前馬場 美濃馬場
白山比咩神社(石川県) 平泉寺白山神社(福井県) 長瀧白山神社(岐阜県)
しらやまひめじんじゃ へいせんじはくさんじんじゃ はくさんちゅうぐうながたきでら
→ちょうりゅうじ
→ながたきはくさんじんじゃ
白山比咩神社
石川県の神社として一番大きな神社であろう。
個人的には物心ついたころから何度参拝しただろうか。
何かあれば白山比咩神社である。
産土神の神社以外では一番多いかもしれない。
そのせいか参拝の毎に感じる感動、感激は少ないかも。
不謹慎な!
でも、そのくらい身近な存在ともいえる。
自他共に認める大社である。
平泉寺白山神社
はじめて訪れたとき小雨の日だった。
巨大な杉の狭間に一直線に延びる参道。
その先は白く霧に覆われ、いつまでもつづくよう。
まさにパワースポット。そんな言葉が陳腐に
感じるほど深い何かを感じた。
ここは神社だが寺院である。昔は武力勢力と
しての僧兵に守られた一大宗教、武力?都市。
その先に白山への登拝道がある。
長滝白山神社
白山というキーワード抜きにしても珍しいと感ずる
境内である。
参道より正面に立派な拝殿、その奥に本殿。
そして、左に眼を向けるとほぼ同じ面に寺院である
長瀧寺の本堂。明治の神仏分離といってもその殆ど
は廃仏毀釈。
良くぞ平等に混在という形で残ったものだ。
宝物館も狭いながらお金を出しておしくない三尊や
神将が並ぶ。全国の白山信仰、白山神社の隆盛は
この美濃馬場の力で広めたと聞いたことがある。
石川県は山頂が明治期石川県になったため
その主体のように扱われ県民もある種誇りに
思っているが美濃の番場に感謝の念を持つべき
かも知れない。
     
     
白山開山1300年記念牛王宝印スタンプラリー

2017年この3馬場の神社が企画したであろうものが白山開山1300年記念牛王宝印スタンプラリーである。
当年3各々の神社のスタンプを頂きながら馬場神社を巡り、満了の者に記念クリアファイルが進呈される
という仕組みだ。右が全て押されたスタンプ。
下がそのクリアファイル。車で動けるものは割合、訪問は容易である。 
思いのほかそのクオリティーは高い(?)品だったが要は巡るきっかけになったこと。
この企画がなければ長滝白山神社を訪れるのはもっと先になっていただろう。

そういえば西国三十三所も草創1300年事業としてキャンペーンをしている。
1300年!
 
   
         
      白山開山1300年記念
牛王宝印スタンプラリー
パンフレットより 
 
       
       
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